#05 Takeshi Saito / Mizuno
#05 Takeshi Saito / Mizuno
アーティストやクリエイターたちとのコラボレーションや密な関わりは、クリエイティブに真摯に向き合うことができる、特別で大切な時間です。彼らの前向きなプライドやメンタリティに共感し、声に耳を傾けること。それを多くの人に届けることで、WIND AND SEAは、常に進化をしています。
#05は、〈Mizuno〉のシューズデザイナー、齊藤健史。
ブランドの哲学を理解して
世の中にアプローチできる
デザイナーになりたい
中学生の頃から陸上に打ち込みました。球技よりも、ただ走ることが向いていたんだと思います。そして他のスポーツと違い、シューズが唯一のギアであることに関心が湧きました。ロボットや車が好きなのと同じような感覚だったと思います。高校に入って、さらに本格的な環境で指導を受ける機会に恵まれ、競技へのモチベーションは高まりました。全国のトップクラスが集まるような強化合宿にも呼んでもらうなど、いろいろな経験をさせてもらいました。しかし、違う空気を吸ううちに自分の限界も見えてしまったことで、選手側ではなく、すべての歴代記録を塗り替えるようなトップアスリートに関わる、サポートする側になって何か一緒にできたら、って思うようになったんです。
大学の4年間では建築を学びました。卒業して、建築事務所に入ろうか、と思っていたのですが、実際のスケールでプロトタイプを作れない建築よりも、ヒューマンスケールに落としたものづくりをしたいと思い、とある電気メーカーに就職しました。当時はちょうどiPodに代表される、携帯型の音楽プレーヤーが各社から発売され始めた頃で、そういうデザインにも興味があった。そこではパッケージのデザインからマーチャンダイズ、説明書の一文一文、そして中国の工場とのやりとりから量販店への営業サポートまで、すべて自分でやるような会社でした。それは後に生きる経験ではありましたが、2年くらい経って「これって本当にやりたかったことか」と真剣に自問自答した結果、会社を辞めて渋谷にあるシューズのデザインの専門学校に通いました。
在学中では、大好きだったナイキジャパンの、中目黒にあるデザインスタジオでの研修制度があったんです。そのために入学したようなものだから、必死で頑張って、熱意も伝えてそこで学ばせてもらいました。卒業後、インターンでお世話になったご縁で、奇跡的に採用枠が空き、ナイキジャパンに就職することができました。
ナイキでは、いくつかのシューズやロゴのデザインを作るだけでなく、既製品を契約アスリート専用シューズに調整するために足型を測定しフィットを調整するような仕事もさせてもらいました。高校の時の「サポートの立場で選手と関わりたい」という夢がここで繋がったことがすごく嬉しかったですね。その経験を経て日本市場向けのランニングシューズのプロダクトマネージャーも担当させてもらいました。
10年近くをナイキで過ごし、2017年にミズノに入社しました。当初はデザイナー枠でのお話しだったのですが、僕が前職でやってきたことを面接時に役員の方に話したら、入社時は企画を担当することになったんです。企画とは、いわゆる戦略立案して、どう作って市場に落とし込むまでの一連のプロセスをコンダクトする仕事。それがミズノでは重要だと教えられました。規模や文化もまるで違う会社の中で、自分ができること、ミズノらしさ、そしてこのブランドでデザイン、企画することの意味を常に考えるようになった。自分の表現したいものを作るのがアーティストなら、僕は企業のフィロソフィーを主観、客観それぞれの立ち位置で咀嚼しながら、世の中にアプローチできるデザイナーであることの重要さを意識し始めたんです。現在は企画業とデザイン業を兼務させてもらっています。
企画・デザインしたものは
最後までトラッキングする
それが自分の使命
デザインに関しては、デスクワークの作業も多いです。パソコンでスケッチを描いたり、パントンのカラーガイドから配色を決めたり、写真集などを眺めてインスピレーションを日々得ています。そして屋上で過ごす時間が好きです。毎日のように届くサンプルが、指定色と合っているかを太陽光を当てながらチェックしたり、各国の営業バイヤーに向けた撮影や資料作りをしています。インライン、コラボレーションを含めるとシーズンに100足くらい同時進行で企画しています。
昔と違って、一つのストロングなデザインで大ヒット、みたいなことを狙える時代ではなくなりました。情報が多元化し、それぞれの趣味嗜好に応じたコンテンツがこれだけ用意されている中、万人に受け入れられるデザインはないように思います。ただし太い軸がなく、バラバラではミズノである意味がない。118年も続く会社で、ファッションとしても通じるものを生み出さないと、ここに来た意味もなければ、この業界にいる意味もない。そのくらいの意思を持ち続けています。
ものを企画して、生み出すことは、子供を授かるようなもの。やはり責任が持てないものは世に出してはいけない。記録のためにシューズを必要とするスポーツのように、明確な大義を見出すことが難しいファッションの世界では、自分が見えていないようなお客様を勝手に想像して作ってしまったスニーカーが売れ残ってしまうと、それらは廃棄されてしまうかもしれない。語気を強めるなら、自分が常にゴミを作り続けている可能性があることを考えるべきです。大量消費社会はとうの昔に終わりました。生み出したものをそのままにするのではなく、どう売るべきか、どう売れていったか、なぜ売れなかったか。そこまでトラッキングする責任が僕にはあります。ゴミを作る人にはなりたくはありません。
コラボレーションを企画、デザインする場合、どちらかの一方通行になったり、どちらかだけが有益になるようなことはヘルシーではありません。ミズノはファッションへの参入は後発かもしれませんが、培っている技術やもっている哲学は本当にすごいと思っています。1秒をどれだけ縮められるか、1ミリをどれだけ伸ばせるかを考えてテクノロジーを開発している僕らの強みを、存分に使ってもらうことで、お互いにとって唯一無二であり続けられるか、それをコンシューマーに届けられるか。そんなブーストにワクワクしています。
TAKESHI SAITO / 齊藤健史
1980年、千葉県生まれ。中学・高校で陸上部に所属し、現役オリンピックコーチの指導のもとハードルで世界を目指すが、アスリートをサポートする側に回ってシューズを開発することを決意。大学、シューズの専門学校を卒業後、ナイキジャパンに入社。10年在籍した後、2017年にミズノに入社。グローバルフットウエアプロダクト本部 企画・開発・デザイン部ライフスタイル企画課所属兼デザイン課所属。ランニングシューズを担当しながら、ミズノのニューレーベル“rhrn”(アールエイチアールエヌ)を2019年に立ち上げ、現在はミズノスポーツスタイルの一部のインラインとすべてのコラボレーションモデルを手掛けている
STAFF CREDIT
Photography _ Local Artist
Production _ MANUSKRIPT