#07 Masaya Ino / Bonfire Meister
#07 Masaya Ino / Bonfire Meister
アーティストやクリエイターたちとのコラボレーションや密な関わりは、クリエイティブに真摯に向き合うことができる、特別で大切な時間です。彼らの前向きなプライドやメンタリティに共感し、声に耳を傾けること。それを多くの人に届けることで、WIND AND SEAは、常に進化をしています。
#07は、焚き火マイスターでありアウトドアプランナーの猪野正哉。
希薄な人付き合いを求めたことも。
それでも仲間に恵まれ、自然に出会い
気づけば焚き火の人になった。
90年代の頃、浪人中に『MEN’S NON-NO』の専属モデルになりました。数年経ってから独立して、フリーでモデルをやらせてもらうように。いろいろな雑誌にお世話になっていたところ、『POPEYE』の撮影時だったかな。編集者と世間話をしていた流れで「じゃあライターやらない?」って誘ってもらって。別に興味があったわけじゃないけど「やります」って答えて。「じゃあ原稿書いてみる?」って話が進みました。そうして7〜8年くらい、ファッション誌や情報誌のライター活動をしていました。
20代後半の時に、先輩に誘われてブランドを立ち上げたんです。その頃って、スタイリストの友達とかみんなやってたんですよね、ブランド。そんな軽いノリでやったら大失敗して、背負った借金を返さなきゃいけなくなって。人間関係が嫌になって、そのまま業界からフェードアウトしました。ほとんど誰とも連絡取らず、10年くらい倉庫で食品の仕分け作業をしていました。そんな感じです、僕の30代って。ただ、それでも声をかけてくれる友人が山に誘ってくれて、一緒に登ることになりました。そこから人生が少しずつ変わりました。
アウトドアの雑誌を読んでいたら、20代の頃にお世話になった編集の人が活躍されているのを知って。懐かしいな、一緒に山登れたらいいな、と思っていたんです。そしたら縁あって声かけてもらって。いろいろ繋がって広がって、山系の雑誌でライター的なことを再開しました。で、キャンプの現場になると僕が自然と火おこしを担当するようになったんです。そしたら「せっかくなら肩書きをつけよう」ってスタイリストと編集の人が盛り上がり、冗談半分で「焚き火マイスターとかどう?」って話になったんです。その雑誌のクレジットを見て興味を持ってくれた『マツコの知らない世界』の番組スタッフの人から、声をかけてもらいました。ちなみにその時はまだ倉庫で働いてました。もうやらなくてもよかったんですが、しんどかったあの頃の気持ちを忘れないようにと。でも、素性がだんだんバレてきて、辞めて。
人の本音を引き出すことも
語らずとも伝わることもある。
それが焚き火のいいところ。
この場所(焚き火ヴィレッジいの)は、造園業をしていた祖父が所有していた林の一角で、僕が育ったのもこの近くでした。民家とか建てられない調整区域とか、こういうどうしようもない土地って、田舎だといっぱいあるじゃないですか。で、何か有効活用できればと思って少しずつ整備して、今はとりあえずほぼ撮影貸しですね。焚き火場とかやろうとしても、火を扱うって認可を得ることひとつにしても、いろいろと大変なんですよね。あと、自分のルーツがファッションにあるから、そういう撮影で使ってもらえるといいなって。アウトドアとファッションって、実際はすごく世界が離れているんです。でも僕は両方好きだから、隣り合わせになれたらいい。今でも好きな服を着たいとずっと思っているので。
焚き火をする時の持ち物にこだわりはありません。この業界って、何か教える時に「これじゃないとダメ」みたいなこと言う人すごく多いじゃいないですか(笑) それも楽しいんだろうけど、別にそういうのないし。こだわらないことにこだわっている感じです。ただ、日本古来のものは一番使いやすいと思う。火ばさみ、鉈一つにしてもすごく考えられている。古道具店で置いてあるものって、理にかなったものばかり。現代の新しい道具に触れた分だけ、昔の良さに気づくことが多いですね。
「焚き火」を仕事にして、色々な人が戻ってきたって感覚はあります。僕の中では30代を空白の時間だったけど、色々メディアで取り上げてもらうようになって、昔の付き合いがまた仕事のきっかけを与えてくれた。焚き火って、一緒にいると無言でもコミュニケーション的なものができるんですよね。昔、借金していたことを隠していた時に、そこの囲炉裏で親と焚き火したことがあるんです。なんかバレちゃうんですよ。「お前、隠し事しているだろ」って。人の顔を見て話さないといけないことも、焚き火の前だと目を合わさずに会話が成立する。その不思議な感じはすごくいいなと思ってます。ただ、自分の深い部分にあるものを引き出せたり、素の自分を見せられる一方で、あまり焚き火の前で多くを語らないでいようとも思う。それだけで伝わることもあるというか。
ここでの撮影もいろいろあるし、割と広いスペースなので、草刈りとか薪割りとか、いろいろな作業のために週の2、3日は地味な作業をしています。落ち込んでいる時に山に登って、自然の大きさに圧倒されてハマった。次第に心が安定してくると、そこまで山を必要としなくもなった。多分、焚き火も同じなんじゃないかとたまに思うこともある。知らないうちに元気をもらってるっていうか。
MASAYA INO / 猪野正哉
1975年千葉県生まれ。浪人生時代に応募したオーディションに受かった「メンズノンノ」専属モデルを 2 年間務めたのち独立。その後、雑誌のモデルやライターを経て、2015年に千葉の実家の雑木林を自ら整備したアウトドアスペース「たき火ヴィレッジ〈いの〉」を開設(※現在は一般開放しておりません)。現在は焚き火マイスター・日本焚き火協会会長・アウトドアプランナーとして活動している。
Drop Date:2024.11.30
Project:Snow Peak Collaboration Collection
STAFF CREDIT
Photography _ Local Artist
Production _ MANUSKRIPT